よく「直感的なユーザーインターフェイス (以下 UI)」みたいな言い方がなされているのを目にするけど、真の意味 (literally) で直感的な UI とはなにか、というのを説明するのは難しいと思う。 ただし、プラットフォームの作法とか、ありがちなパターンみたいなのは存在していて、そういう予測可能な UI のことを直感的であると感じているのではないか、という仮説について最近考えている。
この前まで行ってたはてなインターンのときに、それなりに大きなアプリのソースコードを見たり触ったりする機会があったということもあり、そういうことを考えていて、たとえば、"直感的" なアプリケーション・UI を作る行いが直感的かというと、あまりそうではない気がする (個人の感想)。
実際に、インターンのときにも、増やした機能の画面における "直感的" な一貫性を保つために結構な時間を費やした気がする。こういうのは、あらゆるコーナーケースを想定し、状態とやっていく必要があって、考えついたやつをスッと書けばなんかうまくできる、みたいな感じはしない。もっと鍛錬を積めばそういうふうになるのかもしれない。
あまり関係ない気もするけど、自分の体験を例に挙げると、長いこと Windows と Linux デスクトップ環境 (おもに Xfce) を使っていたのだけど、去年の春から OS X を使うようになったということがあって、そのときに様々な常識が否定されたということがあった *1。
たとえば Windows のエクスプローラーにおいて、リスト表示にしているときに何かを選択して Enter を叩くとそれを開けるけど、Finder で同じことをやると名前が変更できる状態になる。また、名前のところを単にクリックしても同じ状態になる。これを開くには、ダブルクリックするか ⌘↓ を叩く必要がある。OS X を使い始めてからこれに気がつくのにしばらく時間がかかって、そのあいだは何かむずむずしていた気がする。
こういうのはまだわかりやすいけど、もっと細かいことは無限にあるはず (言葉で説明するのも大変なので書かない)。
大抵の場合は、世界観が違えば操作体系も違うわけで、"直感的" の "直感" というものはその文脈のもとに存在しているような気がする。経験から来る勘のことを直感と呼んでいると言える気もする。
そういうわけで、"直感的" な、少なくとも他の人が直感的だと思える UI をつくるためには、そのアプリケーションが動くプラットフォームの文脈を理解し、解釈する必要があるのだと思う。そのうえで、細かな気配りなどをひたすら積み重ねていく必要があると思う。がんばります。