MacBook Pro (13-inch, M1, 2020) を macOS Monterey にアップデートしたら HFS+ な外付けストレージがまともに使えなくなって困った日記

状況を箇条書きで説明すると、

  • MacBook Pro (M1, 2020) を macOS Monterey 12.0.1 (21A559) にアップデートした
    • ……ら、Music.app のライブラリ置き場として使っていた SSD (USB 3.2 (USB-C) 接続、HFS+ on MBR) への読み書きがまったくまともにできなくなった
      • なんで HFS+ on MBR なんかを使っていたかというと、Pioneer DJ 製のデバイスが読み込めるファイルシステムはこれと FAT32 だけだから
      • Music.app (iTunes) のライブラリを外付けストレージに配置しつつ、rekordbox のライブラリも同じドライブに配置することで、CDJ にそのドライブをぶっ刺したらライブラリをまるごとロードできるという技を使いたくてこうなっている
    • 読み書きがまともにできないというのは、
      • Finder で開くと、ディレクトリの中身がロードできたりできなかったりする
      • ディレクトリの中身がロードできたときに、そのへんに転がっているファイルを適当に複製しようとすると、Finder はレインボーカーソルになって帰ってこない
        • この間 Console.app を勘で眺めてもめぼしいログは出ていない
        • eject 操作とかできる感じでもないので、SSD を引っこ抜くと Finder のレインボーカーソルは収まる
      • ls コマンドとかでアクセスしても結果が帰ってこない
      • 清水の舞台から飛び降りるような気持ちで macOS を再インストールしてもまったく状況は改善しなかった
        • セーフブート時はディレクトリの一覧を取得できる確率が高かったような気がするけど、ファイルの複製とかは同様に刺さってまったく完了できなかった
      • Big Sur のブータブルメディアからダウングレードできないかと思ったけど、ブータブルメディアを認識させたところでもう Big Sur にはダウングレードできませ〜んっていう表示になってしまった。ちゃんとしてる……
  • 似たような構成 (HFS+ on MBR) の SSD がもう一個あって (こっちは写真ファイルとかを入れてた)、そっちも同じような状況だったので、勘で APFS 化してみたところ、まともに読み書きできるようになった (??)
    • Disk Utility.app には HFS+ をインプレースで APFS 化する機能があるけど、MBR なドライブでは使えなかった……ので、そのへんに転がっていた HDD にバックアップをとりつつ、まっさらに APFS on GPT でフォーマットした
    • という一連の作業はそのへんに転がっていた Intel の Big Sur 機で実施した。なんか怖いのでしばらくこいつは Big Sur のままにしておくかという気持ちになっている
    • 最初に話題に上げた SSD に対してもこれをやったらちゃんと M1 の Monterey 機でも読み書きできるようになった。わけがわからない

で、その過程においてメインで使っていた M1 のマシンを吹っ飛ばしてしまったのでいろいろ手で戻していて、rekordbox の原状復帰で若干手間取ってしまった。ここで上の箇条書きの最初の話に戻るんだけど、

  • rekordbox は、エクスポートしたドライブにライブラリを配置するときは、ドライブルートに .PIONEER っていうディレクトリを作り、その中にライブラリファイルなど諸々を格納するようになっている
    • エクスポート先のドライブと、「データベースの管理」機能を使うときのライブラリの配置先のドライブが同じであるときは、マスターとなるライブラリの情報も .PIONEER ディレクトリに保存されている……と思う (勘)
    • んだけど、上述したように APFS のドライブはエクスポート先のドライブとしては使えない。こういうときは、ドライブルートに作られるライブラリの配置先ディレクトリ名は PIONEER (頭にドットがない) になるようだった
      • いま (rekordbox 6.5.3 時点) 僕の手元のマシンではそうでした、というだけの話です

この話にはオチはない。疲れた……

失われていた日常が取り戻されつつある……という風潮を感じるけど、外を出歩けるようになって嬉しいという気持ちは思ったより湧いてこなくて、家に引きこもるのは良いことであるみたいな価値観が失われてしまうと面倒だなという気持ちのほうが強い。都心からやや離れた場所に引っ越してしまったとか、そういうファクターはあるんだろうけど、別に引っ越してなくてもそういう気持ちにはなっていただろうと思う。

失われていた日常が取り戻されたとして、日常が失われる直前の人生を一時停止していたのをリジュームするような暮らしになるかというと、そんなことはないだろと思うわけだけど、話題によってはそういう気持ちになるものもある。クラブに集まって飲酒できるようになったよね *1、とか。とはいえ、全体としては不可逆な変化が起こっていて、結果オーライとしては歓迎したい変化のほうがたぶん多かったとも思えるので、この1年半くらいの日々よ……という気持ちにならないでもない。何が言いたいかというと、パンデミックがもっと続いてほしいと思っているわけでは当然なくて、とはいえ引きこもるのが正義みたいな世界は自分にとって極めて快適だった、一方でそれによって失われた機会、私生活みたいなものをどう評価したらいいのかはまったくわからない、みたいな感じです。この話にオチはない。

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2020年5月の渋谷

*1:よく行っていたほぼすべてのクラブは都による飲食店に対する諸々に完全に従っていて云々という感じだった

オープンドアポリシー

オープンドアポリシーは意味ないという主張を id:shimobayashi さんが一貫してされているのが印象に残っていたんだけど、要するにこの話じゃん、という接続が脳内で発生して妙な満足感があった。

note.com

shimobayashi.hatenablog.com

  • ドアが開いているからといって、そこに突入すると何が起こるのか理解されていないと意味がない
    • どんないいことがあるのか
      • どんな問題がどう解決するのか
    • そもそも、ドアの先にいる人は自分のことを受け入れてくれるはずと思えているか
  • 実際どうかという話ではなくて、ドアをくぐってきてほしい人に上記の事柄が理解されていて、ドアをくぐってもらえていないと意味がない、という話
    • 大在宅勤務時代の今では、このへんのコミュニケーションを雰囲気でなんとかするのはとても難しそう (それはそう)
    • 組織の文脈を知っている、あるいは察するのが得意な人はオープンドアを活用できるかもしれないが、そうでなければ難しい
      • オープンドアを活用できている人とそうでない人で格差が生まれることもギクシャクポイントだと思う
    • これを理解してもらうためにできることの一つ、あるいはドアをオープンにしておくことで解決したい問題を解決する別の方法は 1on1 のように対話的なコミュニケーションを積み重ねることである、というのは筋が通ると思うので、一周回っている感じがする

なんらか特定の問題についてひたすら考え続けた結果、その問題の根っこと思える真理を発見した気になる、ということがあって、一方でその真理に必殺技を直撃させることで一連の問題が雲散霧消するか……というとそうでもない気がする、あるいは必殺技のパワーに自信がない、ということで、どうしたらいいのか全くわからなくて途方に暮れていた。

暮れていたんだけど、いろいろ会話したりすることで次の答えがわかってきて、

  • 問題の根っこがわかっているからといって、問題の根っこを一発で解消することだけを考える必要はない
    • その根っこに向かって、枝分かれしている個々の問題に対処していけばいい、という考え方
    • 結局個々の問題に対処していくんだったら、それぞれを場当たり的に解消するのと変わらなくて、問題の根っこがわかっている必要はないのでは?という気がしていたけど、問題たちが脳内で適切につながっていたほうが、個々の問題の優先順位や依存関係について議論しやすい、というアドバンテージが考えられる
      • そのマスにたどり着くまで何が書いてあるのかわからないすごろくよりは、すべてのマスの文言が見通せるすごろくのほうが不確実性が少ないはず (本当に?)
  • また、問題の根っこがわかっているからといって、そこに一直線に向かっていく道筋を考えるのが最適とは限らない
    • 一歩進みはするものの、一歩下がって二歩進んでいるのでは?と思い始めると、損したような気持ちになってしまうけど、そうすることで進むことというものもある

書いてみると当たり前じゃんって感じだけど、根っこの問題がデカすぎるのでは???という厳しい気分に支配されると何も考えられなくなってしまうし、しかしながら真理を発見したのだからそこに一発カマしてやりたいぜ、という感情も湧いてくる。一方で、根っこの問題が本当にデカすぎるものだった場合、そのことを正しく理解していて損することはない……とも思うので、要はバランスだなと思った。この話にオチはない。

夢の車

実在するメーカーの実在しない車種がかなり鮮明なかたちで夢に出現する、ということが発生して、どう捉えたらいいのか全くわからなくて困惑している。あまりに意味がわからなかったので、とりあえず起き抜けに思い出しながら iPad でスケッチを描いたけど、数時間経過した今あらためて見るとめちゃくちゃに思える。

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覚えている限りで特徴を記すと、

Safari 13.1 以降では San Francisco の Mono や Rounded な variant とかを CSS で指定できるようになっている

WWDC20 の "The details of UI typography" という動画をなんとなく見ていたところ偶然気がついた。

developer.apple.com

Transcript 的にはこの辺:

Now the -apple prefixed version has a standard name: system-ui. And earlier this year, we're bringing a new set of CSS font family names, like ui-rounded, ui-serif and ui-monospace to Apple platforms.

そもそも: San Francisco 以降 Apple のシステムフォント群はじわじわ増殖している

San Francisco フォントが Apple 製品のシステムフォントになってから、そのファミリーがしれっと拡大していることにお気づきだろうか。

developer.apple.com

で、これらのフォントは iOSmacOS なんかのアプリを作るときには使えるようになっていたわけだけど、ウェブページから使う術はなかった。なぜなら San Francisco フォントを font-family: -apple-system; で呼び出していたのに相当する設定がそもそも用意されていなかった (多分) んだけど、それが今回めでたく爆誕したぜ、という話。

Safari 13.1 のリリースノートにも書かれていたっぽいんだけど完全に見逃していた。

webkit.org

実際にやってみた

こうじゃ!

Safari Version 14.1 (16611.1.21.161.3) (macOS Big Sur 11.3 (20E232) 上) ではこういう感じになる:

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同じ Mac 上の Google Chrome Version 90.0.4430.93 だとこう:

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今はまだ Safari だけ

つまるところ、今はまだ Safari しか対応していない。

ui-serif, ui-sans-serif, ui-monospace and ui-rounded values for font-family (caniuse.com)

system-ui だけは Chrome でも既にサポートされている *1

system-ui value for font-family (caniuse.com)

caniuse.com でトラッキングできるということは標準化しようという動きがあるということで、すでに CSS の Editor's Draft には入っている。

CSS Fonts Module Level 4

議論はこのへんでされていそう:

上でも書いたように、Chrome では結構前から system-ui だけサポートされていて、それ以外は未サポートのようだった。チケットだけ立っている。

Firefox の Bugzilla にもチケットが立ってはいた:

余談

WWDC20 の The details of UI typography という動画の話に戻ると、これまでは表示サイズによって SF Text と SF Display という違うファミリーを出し分けていたのを SF Pro という variable font に統一しました、みたいな話をしていて、これはこれでめちゃくちゃすごいことが起こっているな……という気持ちになる。ウェブとか Apple とか関係なく、フォント好きな人は見ると絶対楽しめると思う。日本語字幕も用意されている。

developer.apple.com

*1:chrome://settings とかで DevTools を開くと font-family に system-ui が入っている

エヴァ見た (1)

突然エヴァンゲリオンシリーズを頭から完結まで観た。めちゃくちゃ消化不良だけど、プリミティブな感想みたいなのはどんどん湧き出てくる。

激睡眠不足 *1 +トイレ行きたくならないようほぼノンカフェイン *2 で突撃したにも関わらず、エンドロール *3 含めて上映中に一瞬たりとも眠くならなかった (なんかすごかったので褒め方がよくわからない) くらいにはとにかく良かった。良かった……。


自分は1995年生まれで、これがTVシリーズエヴァンゲリオンの放映年であることは皆知っているだろうけど、これまではそういう時の流れの文脈でしかエヴァンゲリオンを捉えたことしかなかったように思う。そういう文脈とは、ポストバブル、平成不況からの阪神淡路大震災地下鉄サリン事件失われた10年の真っ最中……みたいな時間軸における一つのイベントとしての社会現象 (の起点)、みたいなイメージ。放映開始時点では生まれてたとはいえ突然1ミリたりとも覚えてないし、これで親とかが見てたりしたらまた違ったんだろうけど明らかにそうでもなさそうだし、みたいな関係性。

シン・ゴジラをちゃんと観たときにはめちゃくちゃ面白いなと思ったけど、2016年の公開時には劇場に足を運ぶこともなく、最初に観たのはNetflixAmazon Prime Videoのどっちだっけ、みたいな感じだった。シン・ゴジラの総監督である庵野さんはエヴァンゲリオンで有名な人、くらいの認識はあったと思うけど、不思議とそこからエヴァンゲリオンも見てみるかということにはならなかった。不思議と、といいつつ、めちゃくちゃ食わず嫌いするほうなので、だいたいこういう感じの暮らしを送り続けているという話ではある。

めちゃくちゃ食わず嫌いしつつ、たまに何かのきっかけで手を出してみるとめちゃくちゃおもろいやんけ、という感じになるみたいな出来事はこれまでも何度もあった。そういうあたりにシンジくんを重ね合わせて見ていないといえば嘘になりそう。本当か?

旧劇と新劇との違いみたいな話題も含めて細かい設定とか全然把握できてないし、全部一巡した程度でその辺を眺めてしまうのは逆に損なのではないか、という気持ちになりつつある。一方でこの前やってたNHKのプロフェッショナルの庵野さんスペシャルだけは一番最初に興味本位で眺めてて、順番は完全に間違ってるんだけど、とにかくそういう気持ちになっている。

*1:今日の午前 3 時に Q 見終えて、興奮が少し落ち着いて眠気が勝ったのが 4 時過ぎ、9 時からの上映を予約してしまったので 8 時前には起きた

*2:寝起きにコップ一杯分だけコーラ飲んだ

*3:橋本麦さんの名前でめっちゃ驚いた